むやミ日記

Muyami Net Watching Diary

郊外枯野・こまっ犬をめぐる冒けん中

今日はボクの誕生日だからほんの少しだけお祭り気分なり

 

ボク、きょうで二百六十さいくらいになる「こまっ犬」。この左の◯のなかの顔は、まだ和服にコスプレするまえの、標準服きてたころのアイコン。きょう、このあとずっとボクのひとりごとがつづくから、以下、ふきだしなしでいく。

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上のタイトル右下の石像がボクのもとの姿

左の腕に、じゃなくて、左前足に、ボクの誕生日らしい「宝暦七年九月吉日」*1のタトゥーではないョ、石刻文字がある。

あと右腕、ぃゃ、右前足は、、足首から先が、欠損。

さらに、おデコと顔面ど真ん中が、ヘンに陥没。

負傷のもよう。いつごろの? 時期不明。

しばらくの、といってもそうとう長いあいだ、そのまんま放置されてたもよう。で、、

 

またいくらか時が経ち、昭和という時代に入った十二年目に、ボクより大きくて真新しいコマイッヌが、立派な石台に載っかっていた。

それで、ボクはどうしたか?って?

 

それからずっと、こんな具合に地面に直に座りつづけ。

 

ボク=石像が生まれたのは、江戸という時代の宝暦七年、いまから二百六十年ほど前になる。
宝暦も、その前の寛延も、さらにその前の享保も、ろくでもない時代だったようだった。たとえば、宝暦と天保の改元などは、

公式には上皇大御所の逝去を理由にしているものの、実際には凶作や地震を理由とした災異改元の要素があった。実際、天保改元の際には宝暦改元を前例として災異改元を行っている

宝暦 - Wikipedia

などのヒソヒソ話が巷に溢れていたらしい。で?

 

その頃の、ヒトの子が誕生するのは子の親になるヒトの年齢が「二十五、六才」として勘定すると、ちょうど十度の世代の交代=更新が十回、繰り返されて今に至ったことになる。つまり、

 

二百六十年間、無数(数え切れぬ)のヒトが生まれ、死んできた。

 

その二百六十年前に、このボク=石像を作ったヒト=石工の親方も、とっくの遠に死んでるが、一所懸命、石ノミ・金ヅチ振るってトンカントンカン石工ダマシイこめて、ボク=石像を作ったのは、確実だ。

 

その証拠に、いま、生きているのか死んでるのかよくわからない=ボク=石像が、こんな具合に字をならべ、なんだか訳わからないこと喋りつづけているのも、また同時に、確実なことであるわけで、ということは、もしかすると、

 

ボクのおどっつあん=石工の親方だったヒトの、トンカントンカン・ダマシイは、二百六十年も経ってるのに、未だ、死なず、生き残っており、このボク=石像をして、こんなふうに喋らかす、コトバ=ダマシイのようなのを、与えてくれているからに相違ない。

 

ということで。さて、それで、、

 

これから、石工親方=おどっつあんのトンカン・ダマシイの健在と、ボク=石像生誕二百六十年を祝し、郊外枯野に出かけていって、少しだけ、お祭り気分に、ひたってくる。

 

郊外枯野(低地)とお祭り(台地)の高低差

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ゆるい坂道の半分くらいのところに立っている。

ボクの身長が1メートルくらいだとして、低地と台地の高低差は、約2メートル。さらにこの先だんだら紅白お祭り飾りにそっていくと同じ程度の坂があり、台地の頂上には元お城のあったところにたっする。

 

こちらは住んでいるひとがいる。でなければ、

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元お城のあった城下まちのうら通り。古い木造二階棟続き長屋。

えんぴつが指しているほうの二階の雨戸方面は、もしかすると、もうひとは住んでいないのかも。いっぽう、ボクの左手上の窓に、曇りガラスと、その下に、杉板補修のあとが見えている。こちらは住んでいるひとがいる。でなければ、お祭り飾りが、かかっているわけはない。

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郊外枯野とはちがう台地の上の「郊内」空き地の小枯野。

右側裏通りの先に古アーケード看板あり。そのひとつ、

「ロートレック」というなまえのお店だったところが、

↓↓↓

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明り取りの格子付き窓がすばらしい。

なぜか入口ドアが開いたままだった。

 

きょうは、よく飛行機が飛ぶんですよねー

写真をとっている、うしろのほうで、空き地の草とりをしている小父さんと、さっきからずーっと話をしていたおば(ぁ)さんが、

「ごくろーさん」と言い、小父さんは、草取り済みの空き地にとめていた軽ワゴン車にのって去っていくところ。

ワゴン車見送っているおば(ぁ)さんのヨコを通って、もう一ヶ所写真を撮って帰ろうか、と歩いていくと、

 

おば(ぁ)さん、空を見上げながら、

「きょうは、よく飛行機が飛ぶんですよねー」と言っている。

ボクも、空を見ながら、(どこみても飛行機見えない、し、音もきこえない)けど、

「あー、自衛隊のですかねー」と言ってみた。

「いつもは、火曜日に飛行機がよく飛んでくるですよー」とおば(ぁ)さんは言った。

(きょうは木曜日だった)

「たしか、11月にはいって最初の土日だったかに、自衛隊の航空祭っていうのがあるらしいですねー」

「あぁー、それで、じゅんびでなにか運んでいるのかねー」

「えぇ、そうかもですねーー」

 

で、この日ラストの写真を撮りにいく。

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ボクの石工のおどっさんが、右奥の暗がりあたりから、

のそり、

と出てくるような、

気がしてきた。

 

【つづきます】

 

 

*1:当時の和暦をグレゴリオ暦に換算すると1757年10月13日~になる

ホームセンターで買ってきたコーヒーの苗木が大きくなって

郊外枯野の片隅にビニール温室を組み立ててコーヒーの木を移植するのこと

 

ちょっと前にね、ホームセンターで買ってきたコーヒーの苗がさ、どーんどん大きくなっちゃって、トロ箱でも、大きめのプランターでももうね、狭っこくなって窮屈そうなのよ、地面にじか植えにしようとおもうんだけどね?

 

えー、コーヒーの木ですよね? これからどんどん外、冷えますよね? 今日の朝、外気温14℃でしたけど、だいじょうぶ? なんですか?

 

通販のポイントけっこう貯まったからさ、ビニール温室ポチッて、もう届いてるの

 

ひェー、もうビニール温室きてるんですかぁ、そんじゃ、その温室って、どこに作るんですか?

 

いま堆肥が入ってるミドリ色のコンポストあるでしょ? 堆肥は、これからお礼肥えで全部使っちゃうから、入れ物のコンポはね、よそにどかしてその空いたスペースが、いーんじゃないかなっと?

 

あーはい、わかりました、けど……、あのー、けっこうハードそう? ですよねぇ……

 

はーいはい、@1kにベースアップ、でしかも、お昼ゴハン付き! どうですか?

 

あ、あ、おk、はーい、お受けさせて、いただきます。

 

うん、あーと、移植・植え付けはあたしがやるから、あんたも、怪我しないように気をつけてね


コンポストとは?

▲2018年7月のコンポスト

 

コンポストの跡地をならし、移植用の穴を掘った

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レンガはビニール温室の四本脚の置き場です。

 

コーヒーの木2本をさっそくここに植え付けた

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▲大家さんが、ベランダのプランターに植えていたコーヒーの木2本を、さっそくここに植え付けました。仕事がはやいです。

 

別場所で組み立てておいたビニール温室をコーヒーの木にかさねます

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▲骨組みを、あたしが抱え持ち、大家さんがコーヒーの木の枝をそーっと気をつけながら棚網を2枚外した骨組み枠の間を通して、設置を終えました。

 

とりあえずの仕上がり図 

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▲ビニールカバーを取り付けました。

ビニールの裾を地面にもぐらせ、土寄せをしました。このあとは、木枯らしが吹いてくる前までに、強風で飛ばされないような対策を施して、無事、吹っ飛ばされなければ、、完成。。となる。。予定なのですが。。これが…ひじょうに…むずかしそう。。コーヒーの木がさらに大きくなったら順々に金網棚を取り外していく。。のですが。。どうなるでしょー?

 

 そしてこれは、いまの、

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▲大家さんの住んでいるベランダ側の板の間で、すくすく成長中の「ホームセンターで買ってきたコーヒーの苗木」の別の現在。

 

コーヒーの木の葉っぱ、ぴかぴか光って、きれいです。

 

  

〔参考:フィリピンのコーヒー〕

フィリピンはコーヒー産地としては無名ですが、
実はコーヒーの歴史は古く、
スペイン植民地時代にコーヒーが伝えられ、
フィリピンの人々はこよなくコーヒーを愛しています。
スペイン植民地時代に伝えられたコーヒーは

kapitako.jimdo.com

 

 

【つづきます】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郊外枯野・台地の上のお祭り準備と谷津口さまの生い立ちについて

日曜日、気温15℃、くもり。

 

とても涼しくなってきました

 

台地の上にある観光小都市の秋の例大祭まで一週間をきってます。
その台地の裾をとり囲んで流れる小河川が、台地と、低湿地帯の境界を形成し、とうぜんその低地側に、わが郊外枯野が、うすくもり空の下にぼんやり広がっています。


小河川=赤■川が、台地の北端を大きく湾曲して南下しはじめる手前のポイントに、小さいお太鼓橋があります。

その橋をチャリコにのって渡ります。

するとそこは、もう、お祭りの中心となる神社の森の入り口で、境内に至る裏参道と、その脇の、車一台がやっと通れるていどの緩いのぼり坂とのY字路で、チャリコのギアをゆるゆる登坂用に切り替えて、坂道を登りきります。

そして、渋滞中の道路にぶつかります。

台地上のこの神社周辺、及び、観光スポットの古建物の立ち並ぶ商店街バス通り道路は、ふつうの土・日曜日でも、まーったくふつうに、い~っつも、人と車のあふれる観光地と化してます。

 

大例祭の準備で神社駐車場の一角に、すでに鉄パイプの櫓が組み立てられてます。

そこから先の表参道の両脇には、祭礼用紅白ダンダラ幕をぶら下げる用の木製の柱が立ち並べ済みで、準備万端ってかんじです。

 

さらにその先、図書館のほうに進んでいきますと、お祭りの笛と太鼓の練習音がきこえてくるのでした。

ステテレツクテレツクツんどんどどんどドンツクツひゃらぴーひゃらぴーひゃらぴーひゃらら……

 

谷津口さまの生い立ちについて

図書館です。

二階資料室で、旧社殿等の棟札(築造年)などの詳細を調べます。f:id:muyamisaki:20181014215244j:plain

 

 

『△△の神社』

△△県神社庁神社調査団/編者(1986年)

 は、資料棚ですぐみつかりました。
棟札等の記述も、かんたんに、みつかりました。
でもそれは、現神社を案内・紹介するいくつかのウェブサイトで、すでに表示されている内容と同じでした。

 

しかたがないので、きのう、谷津口さま*1で撮ってきた写真を並べて、今後の資料とします。

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▲亨保十三(1728)手水石

 

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▲宝暦八(1758)旧狛犬設置の1年後



〔(延)享四(1747?)石鳥居 〕

▲判読不能(写真ぼけぼけでした)


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▲昭和十二(1937)新狛犬の台座

 

▼現「谷津口さま」敷地フェンスの境界外

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▲石尊/文政元年(1818)

燈明(蝋燭立)部分は破損して失われたもようで、新しい石製のものに置き換えられていました。

 

【つづきます】

 

*1:以後「やつくち」様をこう書くことにする

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(9)

不恋鳥、郊外枯野周辺の堤防潰壊、水害、洪水を調べる

 

明治初中期の地図にある遊水地(現・水たまり田んぼ)で「いつもニコニコ❤」キャラから引退・基礎練中の不恋鳥の図{gifts}

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堤防潰壊、水害、洪水

「やつくち」様は、大正五年(1916年)〔いまから約100年前〕堤防改修の為、現在地へ引っ越した。
 というのも、その3年前の大正二年(1913)〔いまから約105年前〕に、


大正二年には■■川右岸の堤防が潰壊し赤■川左岸の地域一帯は白海(シラウミ)と化し、云々

www.muyami.net

 やつくち様は、■■川右岸自然堤防上に(引っ越し前は)あった。「潰壊」した右岸が、「ヤツクチ」=「谷津の口」とかさなっているのかどうかは不明。

 その三年後になってようやく、大正二年堤防改修→引っ越しとなるのだったが、詳しい被害の記録は見当たらない。だが、現在、地べた「困っ犬」*1となっている石像の破損状態などから、相当のダメージを被ったであろうことはじゅうぶん想像できる。


 さらに、その3年前、明治四十三年(1910)〔約108年前〕関東大水害が起こった。

 

 またさらに、その168年前、寛保二年(1742)〔約300年前〕江戸大洪水が起こっているが、これまた詳しい被害の記録は見当たらない。

 ただ、
 ここ、■■川右岸の堤防にのぼって下流側にしばらく行くと、きのう「郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(8)」でふれた、

「300年前」に獅子頭が流れてきた?

という伝承のある、市指定無形文化財「(子供)獅子舞」が、現在も継承されている地区に行きあたる。

 

その「約300年前」とは、

上でみた、寛保二年江戸大洪水が起こったときと考えて、で、いま、その上流側にあたる、ここの、「やつくち」様の境内で、あたしは、


午後の1時半からとりおこなわれることになっている「(子供)獅子舞」が、はじまるのを、いまかいまかと待っている。


「えー、こちらは、自治会の班長です。」

と、チャリンコに乗っかった小学生低学年男子が言った。そして、

 

「いま、このへんは、ススメバチがでてキケンです、注意してくださーい」

 小学生三人組のチャリンコ部隊の別のひとりが言った。

 

「あは、はい、わかりました。おやくめ、ごくろうさまです」おじぎした。三人組は、

「くくくく、うふふふふ、いひひひひ」笑っている。

 

「ええとあと、あのー、自治会の班長さんに教えてもらいたいことがあるのですが、質問していいですか?」

「え、しつもんですか、え、」

 チャリンコ部隊のニ人と何か相談している、一人がうんうん、いいんじゃない? とか言っている。

「いいですよっ」と班長さんは言った。
「えと、ここの神社で、たしか今日、1時半から、子供たちの獅子舞があるときいて、待っていたんですが、ぜんぜんだーれもこないので、あのー、中止になったんでしょうか?」


 三人、また相談している、一人が班長さんの耳に手をあてて、口近づけて何かヒソヒソ言っている。(うんうんしながら)班長さん

「あー、それは来週ですっ」と言った。

「えー、あー、来週だったんですか、そーでしたか、どーりで…。はーい、よくわかりました」またおじぎした。三人組は、

 

「うくくくく、うふふふふ、いひひひひ」笑っている。

「それでは、また来週きます。ありがとございましたっ」

「おつかれさまでしたっ」三人組は、きりっとして言った。

「自治会のみなさんも、おつかれさまでしたっ」

「おつかれさまでしたっ」

「うくくくくうふふふふいひひひひ」の笑い声をききながら、小学生が「おつかれさま」なんて、どこで覚えてきたんだ? と、ぶつぶついいながら戻ってきた。


市のWEB版の行事案内を見直した

まちがいないよね? きょうのハズだったよね? スマホを覗く?
と? や、ほんとだった。「来週」になっていた。

その日は、台地の上にあるド派手な観光地的大祭(2日続き)の日だったから、まさか、いっしょの日はないだろう? と思ってた。
なんと、真逆だったのだった。

 

【つづきます】

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(8)

不恋鳥、八口様周辺の周年芸能行事を調べて見るのこと


「いつもニコニコ❤」キャラから引退するための基礎練はじめたよ!キリッ

 

えーっと、現在、あたしは明治初中期に作られた地図の中の遊水地のほとりにきていまーす。

 

  

まだ朝はやいです。ここは、でかスーパーの駐車場です。もう少しすると大型トラックがやってきて早朝入荷の荷降ろしが始まると思います。駐車場の右側には、明治時代にも、江戸時代にもあった街道が少し拡幅されて今は舗装道路になって自動車が走っています。このスーパーができる前は、◯◯工場で操業停止してかなりっ経っていたらしいです。

 

そのころはね、道路に面したところに工場の会社の事務社屋があって、奥の方は少し低くなっていて工場の作業棟がならんでいましたね。細い灌漑用水が脇に流れていて、工場の区切りのフェンスはさんですぐ、田んぼでしたよ

 

その工場のフェンスが、明治初中期地図でみえる南北に長く広がっていた遊水地の半分くらいのところまでかかってたみたいです。残りの半分が現在の住宅で、あとの半分が田んぼと、耕作されていない空き地になっています。いま、その下に埋まっている遊水地のことですけど、ここのところ各地で大きな被害がでている集中豪雨のかなり強烈なのがくると、遊水地がここいらあたりにじゃじゃーんと出現したりして・・・

 

 

 300年前に獅子頭が流れてきた?

 

それも2こも流れてきたという伝承があって、無形文化財指定の獅子舞の周年行事が、この近くにあるらしいんですけど?

 

あー、あそこはたしか、あれー、暑いときだったよねー、7月の子供たちが夏休みに入ってすぐだったかなー 川の土手をみんなで笛吹いて、獅子舞して歩くんだけどあっちかったよー、もーたいへん、子供たちも、見守ってるお母さんたちも・・・秋になってからさ、別のとこだけど、やるとこあったんじゃなかったっけ? 

 

あ、ちょっと、調べてきてみます・・・それと300年前ころに、このへんの川が洪水になったって記録もあたってみますっ。

 

【つづきます】

鳥類人口圧の移動と物語のはっせい

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(7)

 

早朝、鳥の鳴き声がきこえてきた

外気とり入れ窓を開け、鳥の声をきいた。
「チュピッ、チュピッ」と言っていた。
いつかきいた覚えのある鳴き声だった。
鳥の声だから「さえずり」? というのだったっけ?
その窓外の「チュピッ、チュピッ」は、なんかちょっと、ききようによっては、
「スキッスキッ」とも、きこえてくるので、
「さえずり」というような、よく知らないコトバより、
「・・・と、スキスキ鳥が『言ってる』」のほうが、いいかんじがするので覚えていた。

でもまだ、その鳥の名前は思いだせなかった。


そのうちに、おなじみの、「ギャャギャャ」

カラスの大声がひびきわたってきた。
それにこたえる、というか、対抗するかのように、さっきの「スキッスキッ」とはややちがう音色の、
「ピュルルピーン」という鋭い鳴き声が、「ギャャギャャ」の声とかなり距離を置いた方向からきこえてきた。
それにくわえて、
「ャッピーャッピーャピー」
「チュンチャゥー」「チュンチャゥー」がつづいてきこえた。
とーてもにぎやかになってきた。

 

二週間で2こも台風が襲来・通過していって

 

全くちがう別空気がいっせいに入れ替わり、それに乗っかって鳥々の人口圧? も急速に変動が起こったのだろうか?

いぜんから覚え知ってた鳥の声は、
「ギャャギャャ」カラスと、
「スキッスキッ」のシジュウカラだけだった。

が、そうとうの種類の鳥々が、ここ郊外枯野にいっきに移動してきているみたい、だった。


何だかよくわからない鳥について

あたしの借りている地下室の大家さんは言った。

 

カラスより大きいモウキンルイ?みたいのが来ていたよ



えー? モウキンルイって、ワシとか、タカですか? どのへんにいたですか?

 

 

そこのアパートの、テレビのアンテナまんなかにして、カラス2、茶色っぽいカラスより大きいの1がニラミあってた

 

 

へー、それで、どーしました? ケンカしたですか?

 

 

大きい茶色いのが、バサバサ北側に飛んで逃げていって、カラス2がギャーギャーいいながら追いかけてったね


久しぶりGIFアニメ{gifts}
ふれん鳥X謎カラスの攻防

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ここ郊外枯野の先住烏らしい「謎のカラス」は、

「ふれん鳥」の頭のかぶりものと、キラキラしてる赤いデカえんぴつがほしかったようでした。
でも、こういう結果になってしまいましたので、
「まー、このくらいでガマンして許しといてやるカー・・・」とかいいながら、
それでもどこかちょっとだけ、ウレシそうにして去ってゆきました。

 

いっぽう、鳥類の人口圧移動に乗じて郊外枯野に遅参した「ふれん鳥」は、といいますと、

トレードマークのピンクの❤のついたかぶりものを、謎のカラスに渡してしまいましたので、
「ふれんどり~フレンドリ~」などと、いつもニコニコやさしくほほえんでばかりいられなくなりましたから、
「きょうからアタシは新しく『不恋鳥』として生まれ変わる」と、決めたのでした。そして、
謎のカラスを撃退したとーっても大切な、赤デカえんぴつのチカラを今後もしっかり借りながら、ある「物語」を、かいていくことにしたのでした。

それは、

 

「不恋鳥物語」

 

とかいう、

お話なのだと、

さ。

 

【つづきます】

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(6)

運動会の花火、人口圧と行列、小さな移住と八口

 

日曜日、朝早く「どがんドガン、どがんドガン」と花火の音が響き渡って、目が覚めます。
地区自治会の運動会「やるぜー!」のお知らせ空砲花火です。
毎年この時期に必ず「どがんドガン、どがんドガン」と鳴らすのが風習なのだそうです。
郊外枯野町自治会主催の運動会はいつも、小学校通学区の各地区(大家さんの記憶によると4つか5つ?)の対抗戦らしいです。

その「やるぜー!」花火の「どがんドガン、どがんドガン」も、花火屋さんが事前に地区ごとに、シカケをセットしておき、順番にまず小学校の近場からデカ音で、

  • 「どがんドガン、どがんドガン」と鳴ったかとおもうと、
  • 次に、中くらいの少し離れた音で「ドコンどこん」、、
  • その次は、こんどは遠めの小さい音で「ドトンどとん」・・・
  • さらに遠めの音で、・・・やーっとおわったかな、あーねむミ、

もういっかい寝なおそうか・・・とおもったら、

またアタマに戻って、同じことを二回繰り返してやりやんの・・・

小学校通学区の子たちのパパ、ママは、この「やるぜー!」花火の音、どんなふうに聞いてるんでしょうかしらん?
 

しかたないので起きだして、もっかけんあんの、「やつくち」「八口」を、調べていたら

弥生時代の中期はとても人口が増えた時期です。そして急激に高まった人口圧を下げるために、小さな移住が頻繁に起こります。移住先は水田を開きやすい場所であるため、多くの見知らぬ人がそこに集まることになり、人口稠密地ができてしまうのですね。非常にコンティンジェント(偶発的)にできてしまう。そうするといろいろな問題が起こります。小規模な殺傷が多発していたことも考古学的に明らかです。(中略)私が一番注目するのは、この現象が一番先端的に起こった北部九州地域です。この地域ではお墓のかたちが統一化されてしまうのです。道を挟んで延々と死者を二列に埋葬し続けるのです。そこで一番自然に構成される集団的な行為は行列です。それから、そのような道の一ヶ所に人を葬ると、その道の先にすでに葬られたたくさんの人のお墓を覆う土饅頭(の列?)が見えていたことでしょう。そして何より、身体運動としての行列というのは、否応なしに人の協同を誘いますし、先頭に立つ人とそれをフォローする人という関係が自然にでてきてしまうものなのです。ですから、弥生時代の初期に基本的には平等的であった社会関係が、気持ちのうえでは平等性を保ちながらもリーダーシップを生み出してしまうような装置が、あるコンティンジェントな条件の生成に促されて出現してしまったと言えます

「現代思想」2018年9月〔考古学の思想〕

討論「考古学と哲学」-p12-溝口孝司氏の発言より

 ( )内と  は引用者

 

そこで「水田を開きやすい場所」に関して、いままで探しためたリンクを見てみると

 

谷をヤ・ヤツと読む習慣
扇ヶ谷(おうぎがやつ)・世田ヶ谷(せたがや)など
鎌倉から広まった用法だが、本来ヤツはタニとは異なる物を指す
谷中(やなか)・谷村(やむら)などヤの一字音になっているのは本来拗音であるからか
北武蔵から上州にかけてはヤト 谷戸とあてる
○ガヤトなどガを挟む結果、垣内(がいと)の字をあててしまった例も
民家の近くの地形であることが推測できる
二つの高地の中間にあり、居住と耕作に便利な水湿の地をひかえた場所だったか
東北・北海道で谷地・萢などと書くヤチと同じもの

 

 

柳田國男『地名の研究』p130-131


例へば谷をヤ又はヤツと訓ましめる習慣である。扇ケ谷・世田ケ谷などと、鎌倉ではヤツを谷と書くこと年久しく云々

地名の研究 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

じっさいに「○ヶ谷戸」がつくバス停が、チャリコで行ける範囲に2ヶ所あります。
バスに乗ってその2ヶ所を通過するとき、アナウンスが{◯がやと}ではなく「○ガイト」と言うので、「へ?」と、なったことがありました。
「やつくち」も、かなりの数の「八口」がそこいらじゅうにあるみたいです。

 

そういえば、大家さんの生まれたところは、

 

「やくち」というとこだよ? でなにか? 


ふーむ、む、とか言いながらチャリコに乗って図書館に向かいます

 

運動会の行進曲がきこえてきます。
図書館近くの小学校の運動会はすでにもう、6月の梅雨のはじまる前に終了ずみです。
そのかわり、いま、幼稚園が、小学校のグランド借りて運動会をやってます。
幼稚園では「園児」のことを「おともだち」と呼ぶらしいです。
幼稚園の先生が、行進曲の音楽にまけるもんかと、マイク使った大きな声で、
「〇〇組のおともだちの△△△がはじまりまーす!」のアナウンスが鳴り響きます。

野次馬のあたしの見えてるハンイでは、
幼稚園児のパパ、ママたちは、先生のデカ声の「はじまりまーす!」の合図と同時に、スマホ構えて背伸びして、あるいはせっきょくてきに位置移動して場所取り合って撮影開始します。
「急激に高まった人口圧」のなか、よい撮影場所をワレサキに確保しよう合戦がはじまって、運動会見物席での小競り合い・小規模殺傷が多発したかどうか?


ふんっ、、、とか言ってるうちに図書館に着きました

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お目当ての雑誌の書架に『文藝』冬号と、なかよくならんで『文藝』(2018年|秋)がありました。


「冬」がすでにここにある、ということは、
「秋」をようやく借りられる日に、なったよ、
ということなので、

速攻で借りて帰ってきました。

 

【つづきます】

ふれん鳥『出雲國風土記』〔寛政五年(1793)〕に寄り添うの図

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(5)

 

久しぶりに登場の「ふれん鳥」です

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が、様子が以前と少しだけ違ってます。

どこがどうちがうのか?

と、あと、ふれん鳥の見ている「黒いの」=足跡の先の本体が何ものなのか?

も、まだいまのところ、わかりません。

 

古っぽい書物は

出雲國風土記
著者:神宅臣金太理 勘造[他]
出版者:讀書室世龍 摸
出版年月日:寛政5 [1793]

出雲國風土記 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

で、
二百二十五年も前の書物ですから、いたずらに、貴重な書物の写真と「ふれん鳥」およびヘンな「不明の黒鳥」といっしょに掲載したりすると、かなりのていどオソレおおく、バチあたるの間違いなし、なので、

またまた、お絵かき模写にさせていただきましたです。

 

それでなぜ「出雲国風土記」なのだっけ?

 

約200年ほど前に書かれた「新編武蔵風土記稿」では、「八口(ヤツクチ)社」=御本尊=千手観音菩薩さまが安置されていた、とある村の小さいお社が、


明治になって十四、五年たった頃に書かれた地図では、「八■神社」と表示されるようになっていて、御本尊はすでになく、別の神様のナマエのに変わっていたらしいのです。

どうしてそうなったのか? も、

まだ、いまのところ、わかりません。としておきます。

 

で、まだ、わからないのにどうして「出雲国風土記」なのか? こちらの「風土記」はだいじょうぶなの?

 

江戸→明治のときみたいに書き変わってないの?

『出雲国風土記』の原本は失われており、現在は写本の形でその内容が伝えられています。

https://www.pref.shimane.lg.jp/bunkazai/kodaisen.data/handbookjou.pdf

 

こちらの本はまだ、失われてはおりません

出雲国風土記には、オホナモチ(大穴持命、オホクニヌシ/オホナムヂのことで、出雲国風土記では「天の下造らしし大神大穴持の命」とか「天の下造らしし大神の命」と呼ばれる)の事績として語られる短い地名起源譚のなかに、「越の八口を平け賜ひて、還り坐す時に」(意宇郡母理郷条)、「越の八口を平けむとして幸(いでま)しし時に」(同、拝志郷条)という記事がある。この「八口」をふつうは「やくち」と読んで地名とするのだが、「やつくち」と読めば怪物の名にもなりそうではないか。ただし、そう考えたとしても、このヤツクチ退治はスサノヲではなくオホナモチの話だが、高志(越)の怪物を退治する伝承が出雲で語られていたという痕跡にはなろう。

 

三浦祐之「出雲神話論」(第5回)

(群像2017年11月号 p302-p303「出雲国風土記におけるスサノヲ」より)

と、ここでやっと「高志=越の八口」「ヤツクチ」「やつくち」が出てくるのでした。

 

「高志=越」は、越前、越中、越後の「三越」の「越」で、出雲から見ると、日本海沿いに南から北に陸続きでつながっている場所。で、このぶぶんのお話は、その場所のなかに属する「八口」(地名? 怪物? 八口族?)を「平け」たオホクニヌシ/オホナムヂとよばれる神様が出てくる「出雲神話」の一部、なのです。が、

 

このままつづけると、長くなりそうなので、

 

まとめ

 

その場所=「出雲」「越」と、ここの場所=「新編武蔵風土記稿」「明治十四年地図」に書かれた「八口社」あるいは「八■神社」が、実際にあった場所(いまもある場所)は、か、な、り、と、お、く、離れている、離れ、すぎて、いる、のであります。

 

「八口」ってなに? 地名? 怪物? 八口族?
と、はてなマーク4こならべて、また次回に、

 

【つづきます】

こまっ犬〔着物【女装】身八口〕をめぐる冒けん中

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(4)

 

きのうの「ヤツクチさまってなんなのか?」をざっとおさらいしてみます

 

『新編武蔵風土記稿』(1810年に起稿し、1830年に完成。全266巻)の中の「旧■■郡の巻」に見えるとある村の小字小名に「ヤツクチ」とフリガナされた「八口社」があった。

この「八口」ってなんなの? と調べていくと、次の4項目が浮上してきた。

 

  1. 「越 八口」
  2. 「出雲 八口」
  3. 「安室 ハロ ガンダム」
  4. 「和風着物(おんなもの) 八口」

 

上記の「3.」は、よくみると漢字「八口」ではなくカタカナ「ハロ」らしかったので除外することにした。「1.」および「 2.」 は、このへんが本命らしいのであとまわしにし、「4. 」が、どちらかといえば簡単そうなので、ここから、片付けてみることにする。

 

すると、

 

やだ~な~、ボクやだな~ぁぁああぁぁ

と、こまっ犬が騒ぎだした。

 

どうやら、こういう姿にされるのが、やだったみたいだった。

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こまっ犬、その犬歯を見せてさいしょは「や」がっているようだったが、でも、すぐ、(なんかいいかも・・・てかんじに)状態おちついてきたみたいで、胸あたりを拡大ズームしにいっても、ぜんぜん文句いわず、に、

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はい。ここの黄色で色つけしたところ【赤色矢印が示す先】が、もんだいの「身八口」あるいは「身の八口」と呼ばれるところ、らしいです。むふふ

と、こまっ犬が説明し始めたのだった。

さらに、

 

和装着物(女用)には、身体を包み込んでなお、開口している部分が、この「身八つ口」2こ、のほかに、「袖口」2こ、袖口の反対側にある=「振八つ口」(または単に「振り」)2こ、あと首周りの「衿」1こ、足が出る「裾」1こ、の合計「八」この「口」があいています。上の写真で、袖口とか足の方の裾なんかに「白色」の下着ぽいのがチラ見えしてるのがそれですね。えー、あと、ちなみに男用は、6こ、しかないらしいです。どうして6こなのか、不平等じゃないか? と、ご不満のかたは、ググって調べてくださいね。むふ・・

とかいって、とっとと、去っていくのでありました。

 

かんたんまとめ

こまっ犬くんのコスプレなんかしている場合ではありません。

 

次回はいよいよ、


「越 八口」と、「出雲 八口」を解明し、

「郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻」
「こまっ犬をめぐる冒けん」

のカクシン部分へと、

さっそうと、はいって、

いける、の、で、しょうか?

 

【つづきます】

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(3)

こまっ犬をめぐる冒けん(中)ヤツクチさまってなんなのか?

「むかしこの土地のひとが、ヤツクチさまと呼んでいた」らしい杜が左上に見えてます。

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そして、きのうの「明治十四年地図」をお手本にした、お絵かき地図を東を上にして回転させたのがこれ↓↓↓

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いま、地図上の白太斜線=現在の堤防上から、お日様が昇っていくらか経った東の方を見ています。

現在の、(むかし「ヤツクチさまと呼ばれていた」)お杜の場所は、地図ではヨコに寝た鳥居マークのところにあって、写真では、左上のこんもり木立の生えている場所がそこになります。

つまり、新しいお社は、元あった場所から北東方向に引っ越ししているようです。

 

カメラの場所は地図の赤丸


このカメラのある位置は、地図で見るとちょうど、明治十四年以前からあったらしい古いお社の、鳥居の場所(黒色)になるようです。

 

百八十度回転し、うしろを振り返って見てみますと、

 

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取水堰(せき)がありました。

青ペンキの四角いフタのようなのは、おそらくその先のほうに見える河川右岸直近の水門から、こちら手前に地中でつながる導水管の、点検口かなにかでしょうか。

草つき河川敷に「ここから先キケン」の立て札があります。その手前、左右にのびてる敷石のあたりが、お絵かき地図に見える古い昔の土堤の名残かもしれません。

ここの堰が、

地図に黄色で描き加えた縦棒で、この取水堰から、昔も今も、ほぼ同じように取水・導水して、おなじ自然堤防の土中を通し、旧お社の青丸の「池」のような場所や、現在も、少なくなってるけど少しは残っている水田に、

灌漑用水を送っいるのでは? と、

 

もういちど、ウシロを振り返って見てみると

 

地図の青色■は、堤防外側にある用水の管理装置のようなもので、取水した水をコントロールする動力源+開栓装置らしいのが写真の右中に見えています。

白く光って見えるプレートには、灌漑用水関連地区代表責任者名が記されていて、覆いの頑丈そうな金網には、しっかりカギがかかっていました。


そのむこうに墓石が二つ写っています。

このA川支流の河川両岸には、お寺と墓地がたくさんあります。

むかし「むかしこの土地のひとが、ヤツクチさまと呼んでいた」らしい杜は、たしか、

ヤツクチ社 本地ハ千手観音ナリ 村内 本山修験林蔵院持

新編武蔵風土記稿

と書かれていましたので、

千手観音さまが御本尊ならば、神仏習合時代のお墓がそばに、あってもぜんせんフシギじゃない、です、よね?

www.muyami.net

 

 ヤツクチさまっていったいなんなのか?

 
「やつくち」を、調べていると、「ヤツクチ」だけでなくてどうしても「八口」の二文字も検索対象になってしまいます。

すると、
「越 八口」「出雲 八口」などがまずでてきます。

それだけでは、まだ、おさまらず「安室 ハロ ガンダム」なんかもでてきます。和装女装着物の「ハロ」まででてきます。

なにがなんだかわからなくなってしまいます。

こまったあたしは、

こまっ犬にヘンシンし、

ここは越? イヅモ? あるいは、ガンダム? はたまた、女装着物?

 

などなどについて、

は、

また次回に、

 

【つづきます】