むやミ日記

どごさぁべ? 夢野岬ノ果テなさぁべ。

をとこもすなる日記といふものを、おむなもしてみんと・・・

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こんばんわ。

 きのうのつづきです。「伊勢」から「土佐」にとびます。

 『伊勢日記/土佐日記』の著者が、15歳の「反抗期の娘」さんと「伊勢」にむけて出発したのは、きのうここに書きました。「桜の咲く前のまだ肌寒い」時期、だったのでしたが、さらに遠くのこんどは「土佐」に旅立ったのは、「八月一日、つまり真夏のもっとも暑い盛り」だったそうです。

 こんどは、「反抗期の娘」さんはいません。「女性編集者のKさん」と、「若く、かつ大きな体で、少なくとも体力の点ではたのもしいこと、この上ないカメラマンのEさんとの三人組で、飛行機で一気に、高松空港(上の地図の真ん中上部の赤ポッチのところ)へ。

 いっぽう、表題の「をとこもすなる日記といふものを、おむなもしてみんと・・・」と、ひらがな文字で書いたとされる「とさのにき」の執筆者:紀貫之(きのつらゆき)は、「承平四年(934年)十ニ月二十一日」に、「大津」(上の地図、高知の右上)から出発し「・・・翌年ニ月十六日まで、ほぼ二ヶ月弱、土佐からの帰途、京都への旅の和歌生活を綴る。書き出しはあまりにもよく知られている・・・(中略)・・・女の立場、女の筆になって書く、という虚構がここにはある、と言われる。但し『それのとし』とか、『いささかに』とかいう表現は女らしからぬ言い回しだとの指摘もあり、もしそうであれば女性仮託といってもポーズだけ、すぐばけの皮のはがれた虚構だということになるが、作者としてもそれは百も承知のことであったろう。」と、解説:藤井貞和先生は、巻末に書いています。

 そうして、

 「おんなとおとこ。このちがいは、やはり大きい。筆者、つまり紀貫之自身も、自分の情緒や心の弱さを描くのに、男故の体面から解き放される。たとえ、私たちが『土佐日記』を読むうちに、『男もすなる・・・』という前置きを忘れてしまって、紀貫之という紛れもない男の存在しか感じなくなっているとしても、それでもこの冒頭の文章の効果は消えずに残っているはずなのだ。」

 と、書いているのは、『伊勢物語/土佐日記』の著者:津島佑子さんです。さらに、

 「さて、私自身は幸か不幸か、もともとが女なので、紀貫之が必要とした男女逆転のトリックとは縁がなくすんでいる。むしろ、『土佐日記』を辿る、真夏の旅においては、ずうずうしくも女の身であることに安住して、力持ちで丈夫な青年であるカメラマンEさんを横目でひややかに見やりながら『土佐日記』の作者の心中に思いを馳せていたのである。今も昔も、男の立場はまったく窮屈なものらしい。」

 といっている、津島佑子さんの三人組も、紀貫之らの長旅にまけずおとらず、カコクな取材旅行だったようです。暑さ、地理不案内、トイレもんだい、限定された取材日程などなど。

 紀貫之のほうはというと、何度も何度も別場所でくりかえされる、お別れの宴席、お天気待ち、海荒れ待ち、そうして、小型の手漕ぎ川船を連ねて海賊出没を警戒しながらすすまなければならない夜中の航海などなど。

 

 その海賊は、上の地図の太字で示した「土佐泊」=鳴門の渦潮近辺で出る、ということだったらしいです。

 その海賊の出没に、あたしは、なぜか興味がわいて、ついつい手書きの地図をつくってしまったのでした。

【つづく】