ここは、現在、あたしが寝起きしている、石牟婁(いしむろ・地下室)別名「あなぐら」の出入り口です。
正面に見えるのは、キンモクセイという木で、ここの大家さんが若いころ、40年くらい前? 植木屋さんが植えていったものらしいです。
その手前右側の、葉っぱがキミドリ色に光っているのが、ビワの木で、こういう食べられる実のなる木=ビワ、カキ、リンゴ、クリ、ブドウ、アマナツミカンのような樹木類は、みんな、大家さんが苗の木を買ってきて植えたり、タネや実から、育てて増やしたりしてきたものらしいです。
樹高がいちばんたかくてリッパなのは、キンモクセイで、新しい枝がまだぐんぐん伸びてるさいちゅうなのです。
そしてそのすぐ北側に、お隣りの二階のベランダがあって、キンモクセイの枝のせいで日陰になってしまう寸前のようなのです。
大家さんは、やや気にしてるみたいです。
あたしの出番がもうすぐ、まわってきそうなかんじです。
で、もっか、、
「金木犀 剪定」などと、古iPhone5にかきこみ調べ中。
さて、
上の4月25日の日記で、ほんのすこし触れただけだった、、
磯﨑憲一郎『電車道』(2015年2月・新潮社)の、その後のことを、、
またすこしだけ・・・
これ以上の人生の浪費はもはや一日たりとも許されない、男はその夜のうちに家を出た。男には長年連れ添った妻がいたし、愛してやまない二人の娘もいた。義理の母親とその妹まで同じ家に住まわせて養っていたのだが、財布と煙草と一日分の着替えだけを鞄につめて、寝静まっている家族に気づかれないよう男は玄関の引き戸を開けた。
「男」に焦点のあたった三人称視点で、いきなりはじまってました。
そして、風雨のなかをさまよいながら、やっと、とある洞窟にたどりついて、、
雨は翌日になってもやまなかった。男は洞窟の床に横になって、ただ降る雨を見て過ごした。鈍痛にも似た空腹が襲ってきたが、そういうときは煙草を吸ってごまかすか、短い眠りに落ちてしまうことにした。
でもやっぱりお腹が空いてしかたがないので、川のサカナかなにか食べられそうなやつをとってこようと外に出て探して、ナマズをとって戻ってくるのですが、そのナマズは、どうやっても食べられません。そのまま、空腹の状態はつづきます。
それから何日かたったある日、男がうたた寝から目覚めてみると、洞窟の入り口にちいさな笊(ざる)が置かれていた。笹の葉に包まれていたのは、男が見たことがないものだったが、(・・・)
さっきのキンモクセイが見える、階段の出口までのぼっていきます。
そうすると、そこでなぜかつい、きょろきょろと、
あたりを、(・・ざる・・ざる・・と、)
見まわすような、あたしに、なってしまって、ここのとこ、
ほんとーに、こまってるのであります。
【つづく】