むやミ日記

Muyami Net Watching Diary

雨の降り具合をみながら千七、八百年前の河川氾濫原の泥のにおいをかいでみる

雨の降り具合をみながら、南側斜面の雨水排水路とマンホール周りの集水孔の点検にいきました。

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小降りの雨ですが、南風が吹いていて斜面の笹竹がゆれています。
 

 レンガが並んでいる下に、斜面に降った雨水を排水するU字溝があります。
 

点検孔のフタを開けて内部の状態を見てみます。

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コンクリのU字溝の底にがいくらかたまっているようですが、

ま、だいじょーぶ! でしょ?

ってことにして、点検おしまい。

 

関東甲信地方つゆ入り確定=の梅雨空を見上げています。

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 さて、ここから、歩いて7、8分でいける(いけた)釣り堀の底に行ってみます。

 

(引用=「1 遺跡の位置及び環境」より抜粋)

 ○○市の市街地の北にある○○部落は、東京から○○に通ずる○○街道沿いにあって、最近とみに工場用地・住宅地が造成されつつある地域である。その○○部落の南端にある当遺跡付近一帯は、武蔵野台地の○○(中略)○○を流れる○○川の沖積地で、水田地帯として開け、自然堤防上に点々と部落が散在する景観を示している。当遺跡もまた○○川が形成した自然堤防上に存在し、その周囲は湿地帯で、古くから農耕に適する好条件を備えていたと推察される。○○地方における農耕発生期の遺跡が従来確認できなかったのは、沖積層の堆積が厚く表土面に土器片が散在しないためであったが、はからずも当遺跡では1.5mないし2mも掘り下げたことによって確認することができた。


(引用=「2 調査の動機と発掘の経過」より抜粋)

 ○○市街地の北、○○部落の南端にある○○○○氏宅で釣堀を経営するにあたり、池を深さ2m掘ったところ多数の土器が出土した。出土遺物の主なものは同氏宅に保存されていた。
 B地区(図省略)の発掘調査を開始した昭和三十八年(1963年)三月○○日には(釣堀の)西側の一部が掘り進められていたが、転業する農家(のちの釣堀経営者)の工事をストップできぬ状態なので、出土する遺物を記録保存する緊急調査の形態をとらざるをえなかった。しかもひどい湧き水の悪条件のもとで、十日間を調査期間とした。


 一昨日、一部分だけ掲載した「屋敷森」の航空写真(1960年頃撮影と表記しましたが正確には1961年撮影です)には、遺跡発掘現場は、まだ写っていません。

 この発掘調査の時期は、航空写真の撮影時期から2年が経過しています。

 そして、すでに、(前回の)1964年東京オリンピックは、この遺跡発掘作業開始時期からみると、もう一年半後に迫っています。

 土木・建築・運送・その他関連のシゴトはめっちゃ忙しかったでしょう。
 「・・しかもひどい湧き水の悪条件のもとで、十日間を・・」現場で作業するひとも、転業して新しいシゴトを開始しようとするひとも、それを見守るご近所のみなさんも、たいへんだったろうなと思います。


 ところで、この遺跡の発掘調査記録は『○○市史 第一巻 原始・古代」(1972年刊)』に掲載されているのでしたが、遺跡から発見された重要な遺物は、

(『○○市史第一巻』「4出土遺物の位置及び層序」より抜粋)

主要な部分の時期をみると、五領式土器の古手に入るものが主である。さらに(中略)壺型土器の底部及び(中略)台付甕の接合部には焼成前に穿った孔があるが、これは少なくとも焼成前から実用土器として作成したのではなく、仮器としての性格が非常に強いものと思われ、これらを併出させた時期の遺構については最近注目されている方形周溝と思われるものではないだろうか。

  と書かれているのでした。

 

 歩いて7、8分でいける(いけた)釣り堀の底に、あったのではないか、とおもわれる重要遺物=方形周溝墓=が、弥生時代~古墳時代前期のものだとして、千七~八百年も前の、その遺物を覆っていた河川氾濫原の大量の「」は、さっき、あたしが、点検孔のフタを開けて、内部をのぞきこんだときに、ほわ~んと、におってきた、U字溝の底の「泥」と、ひょっとして同じにおいが、、していたんじゃないの? と想像してみたのでした。

 

【つづきます】