むやミ日記

Muyami Net Watching Diary

ふれん鳥『出雲國風土記』〔寛政五年(1793)〕に寄り添うの図

郊外枯野の時ネジを逆にまくの巻(5)

 

久しぶりに登場の「ふれん鳥」です

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が、様子が以前と少しだけ違ってます。

どこがどうちがうのか?

と、あと、ふれん鳥の見ている「黒いの」=足跡の先の本体が何ものなのか?

も、まだいまのところ、わかりません。

 

古っぽい書物は

出雲國風土記
著者:神宅臣金太理 勘造[他]
出版者:讀書室世龍 摸
出版年月日:寛政5 [1793]

出雲國風土記 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

で、
二百二十五年も前の書物ですから、いたずらに、貴重な書物の写真と「ふれん鳥」およびヘンな「不明の黒鳥」といっしょに掲載したりすると、かなりのていどオソレおおく、バチあたるの間違いなし、なので、

またまた、お絵かき模写にさせていただきましたです。

 

それでなぜ「出雲国風土記」なのだっけ?

 

約200年ほど前に書かれた「新編武蔵風土記稿」では、「八口(ヤツクチ)社」=御本尊=千手観音菩薩さまが安置されていた、とある村の小さいお社が、


明治になって十四、五年たった頃に書かれた地図では、「八■神社」と表示されるようになっていて、御本尊はすでになく、別の神様のナマエのに変わっていたらしいのです。

どうしてそうなったのか? も、

まだ、いまのところ、わかりません。としておきます。

 

で、まだ、わからないのにどうして「出雲国風土記」なのか? こちらの「風土記」はだいじょうぶなの?

 

江戸→明治のときみたいに書き変わってないの?

『出雲国風土記』の原本は失われており、現在は写本の形でその内容が伝えられています。

https://www.pref.shimane.lg.jp/bunkazai/kodaisen.data/handbookjou.pdf

 

こちらの本はまだ、失われてはおりません

出雲国風土記には、オホナモチ(大穴持命、オホクニヌシ/オホナムヂのことで、出雲国風土記では「天の下造らしし大神大穴持の命」とか「天の下造らしし大神の命」と呼ばれる)の事績として語られる短い地名起源譚のなかに、「越の八口を平け賜ひて、還り坐す時に」(意宇郡母理郷条)、「越の八口を平けむとして幸(いでま)しし時に」(同、拝志郷条)という記事がある。この「八口」をふつうは「やくち」と読んで地名とするのだが、「やつくち」と読めば怪物の名にもなりそうではないか。ただし、そう考えたとしても、このヤツクチ退治はスサノヲではなくオホナモチの話だが、高志(越)の怪物を退治する伝承が出雲で語られていたという痕跡にはなろう。

 

三浦祐之「出雲神話論」(第5回)

(群像2017年11月号 p302-p303「出雲国風土記におけるスサノヲ」より)

と、ここでやっと「高志=越の八口」「ヤツクチ」「やつくち」が出てくるのでした。

 

「高志=越」は、越前、越中、越後の「三越」の「越」で、出雲から見ると、日本海沿いに南から北に陸続きでつながっている場所。で、このぶぶんのお話は、その場所のなかに属する「八口」(地名? 怪物? 八口族?)を「平け」たオホクニヌシ/オホナムヂとよばれる神様が出てくる「出雲神話」の一部、なのです。が、

 

このままつづけると、長くなりそうなので、

 

まとめ

 

その場所=「出雲」「越」と、ここの場所=「新編武蔵風土記稿」「明治十四年地図」に書かれた「八口社」あるいは「八■神社」が、実際にあった場所(いまもある場所)は、か、な、り、と、お、く、離れている、離れ、すぎて、いる、のであります。

 

「八口」ってなに? 地名? 怪物? 八口族?
と、はてなマーク4こならべて、また次回に、

 

【つづきます】